「そういう絆の形。」

「20年経ったことしか描かないと言ってるけど
 家内ちゃんはいいの?今の話でしょ?」

という疑問は結構いただきます。
20年という数字には何の根拠もなく、ただの自分ルールですが
これをは主にプライベートな恋愛または憂鬱について描く時に適用します。

「ふられた!悲しい!死ぬ!」のような感情を
リアルタイムで周囲に撒き散らすようなメンタルなら
匿名であろうがなかろうが、
上手くいかなくて当然だと僕は思っています。
何故かといえば、それ自体僕が学生時代に学習した失敗だからです。

ダメージを受けても一瞬で忘れられる人もいれば、
僕のように20年くらいほっといた方がいい人もいるでしょう。
それを知るのは経験からでしかなく、他人と比較して強い弱いと考えるのは無意味です。

でもその「上手く行かなかった」を大人目線でバカにしているのではなくて、
その後その「上手く行かなさ」がどういう運命を辿ったかを
当時の日記をベースに自分語りとして描いているわけです。
だから説教にも見えるだろうし、反感も持たれます。
それは仕方ないな。
だって僕は君たちとは違うから。君たちだって僕と一緒だったらいやでしょ?

マンガとして描くと嘘に歯止めがきかなくなります。
とにかく人の感情を揺さぶりたいという欲望に負ける。
マキタと大学になってから再会し恋をする、という話も描けてしまう。
僕はそんなものを描いても楽しくありません。

一方で家内ちゃんはマンガです。
マンガなのでエンタメです。
エンタメなので僕の自我はあまり強く出てきません。
なのでいつの話を描いても僕自身の物語ではありません。

いずれにしても過去の物語では「僕」はろくでなしで、
家内ちゃんの世界ではそこそこよき夫と妻です。

結局何をしたいのかって?
僕は「世界」とか「社会」といった大きな話が嫌いなので
僕の知っている人がいかに素敵だったかを自慢して
それによって僕が幸せになりたいだけなんです。

心が揺れたら 押してください

【翻訳用】AIによるこのマンガ・イラストの説明

肩を揉んでほしいと男性が頼むと、動物らしきキャラクターが快諾する。キャラクターは手をきらきらさせ、笑顔で男性の背中に手を置く。しかし、次の瞬間にはキャラクターはころんと背中を向け、口を開けて「おいでて」と誘う。男性は肩を揉んでもらうのではなく、結局キャラクターに食べられそうになっているようだ。コミカルな様子で、2人の不思議な関係が描かれている。

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